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zoom RSS 九州旅行記(6)〜綾城、都於郡城

<<   作成日時 : 2011/08/26 21:52   >>

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〈2011年8月16日(その1)〉
今日は都於郡城など、宮崎県内陸部にある伊東氏の諸城を見てまわろうと思ったのですが、いかんせん交通が不便すぎます!
(ToT)
都於郡なんて、バスの便が一日数本しかなく、また仮に都於郡に行ってこれたところで、他にもいくつか城を見てまわろうなんてのは無理な相談ぽいです。

そこで、またまた僕の旅としては変則的ではありますが、この日はレンタカーを借りて城めぐりをしてみることにしました。
今回、カーナビつきのレンタカーを借りてみたのですが、いやあ、便利ですねコレ。
(え?今さら何いってんだって?)

恥ずかしながらわが家の車にはカーナビがついてないもんですから、すっかりタイムスリップした昔の人の気分です。
(^^;)
目的地を入力しとけば勝手につれてってくれるってんですからね。
なんだか地図をひろげながらやっていた今までのドライブが、ばかみたいな気がしてきました。

てなわけで、カーナビに連れていってもらった城がこちら、綾城です。

画像
駐車場から橋を渡ると、戦国時代ふうに復元された天守が見えてきます。
ちなみに駐車場がある場所もかつての曲輪だったみたいですから、これは城跡の破壊ですね。
まあ、しょうがねえか・・・。


画像
戦国時代の天守、というか高層櫓を木造で推定復元したものとしては、先がけ的な存在が、この綾城です。
ちょっと下の入母屋の部分が大きすぎる気もしますが・・・。

この綾城の復元から、高根城荒砥城のような中世山城の復元や、白河小峰城白石城といった天守の木造での復元がはじまるわけですねー。
ですからひとつの画期となったことは間違いないわけです。


画像
高層櫓からの景色です。


画像
建物の中は資料館になっており、ろう人形を使った再現もあります。
写真は島津の圧迫を受けた伊東氏の家臣が、当主の伊東義祐に落ち延びるよう進言しているところ。
もっともこのシーンの舞台となったのは、都於郡城でありますが・・・。


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門もきれいに復元してあります。

この綾城伊東48城のひとつであります。
伊東氏は島津氏とならぶ鎌倉時代からの南九州の名族で、一時その勢いは島津を凌駕します。
しかし元亀3年の木崎原の戦い(このとき島津勢は伊東の10分の1の兵力しかなかったといいます!)
において島津氏に敗れると急速に衰え、以後4年半の間に48の城を一つづつ、しかしことごとく落とされていきます。

支えきれなくなった義祐は日向を捨て、豊後へと落ち延びていくわけですが・・・。
4年半ものあいだ、いったい何をやってたんだ!、指くわえて見てたのか!と地元ではいわれてるみたいです。
(^^;)
まあ衰勢にある戦国大名というのは、たいていこんなもんですね。



さてふたたびカーナビを頼りに、いよいよ伊東氏の本城、都於郡城(とのこおりじょう)をめざします。

ところでカーナビに目的地を打ち込むときに、こうした古城ですと“都於郡城”とかそのまま検索しても出てきませんので、“都於郡小学校”など近隣の施設を入力するといいみたいです。
(え、そんなの常識だって!?)

カーナビの力で山奥(失礼)の都於郡にもぶじ着くことができ、駐車場(ちゃんと整備されています)に車を停めて見学を開始します。

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いきなり本丸の豪快な枡形虎口が迎えてくれます。
織豊期以降のもののように石垣ではありませんが、こうした土塁の枡形もいいもんです。


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無意味なほどだだっ広い本丸。
のあちこちに土塁状の高まりが見えるのは、曲輪の中をいくつかに区切って使っていたのでしょうか。


画像
悲運の少年遣欧使節伊東マンショの像もあります。


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これぞ群郭式城郭の醍醐味、本丸と二の丸の間の雄大な堀切!
ふっ、深え!!

さて、この旅で何度も出てきている群郭式という言葉ですが、ここであらためてご説明しておきましょう。
群郭式とは、北東北や南九州に特徴的な山城の形式で、多くの曲輪から成り、曲輪間に明確な階層関係や有機的な連携がないものを指します。

この旅に同行した、城に興味のない友人ゴルド君がふともらした言葉、
「この城は本丸と二の丸がつながってないんだ」は、
いみじくも群郭式の特徴を的確にあらわしたものといえます。

織豊期以降の城ですと本丸→二の丸→三の丸という階層が明確であり、二の丸を通らないと本丸に行けないなど、曲輪と曲輪が有機的につながって、城ぜんたいの防御を形づくっています。
しかしこの都於郡城においては、各曲輪にそれぞれの虎口がついているだけで、いわば独立した単郭式の城をいくつも並べているだけという構造になっています。

志布志城もそうでしたが、これは大変わかりやすい群郭式の例ですねー。
うーん、感動です!


画像
そしてこちらが、やはり広大な二の丸。
二の丸のほうが、若干標高が本丸より高く、こちらが主郭なのではないか、という見方もあるようです。
本丸の側に向けて、大がかりな土塁もありますし。
まあ、どの曲輪が主郭なのかはっきりしないのも、群郭式の特徴といえますが。


画像
二の丸の背の高い土塁。
この土塁があるため、本丸から二の丸の中はのぞけないようになっています。
このあたりの構造も、二の丸が主郭ではないか、と疑わせる理由のひとつになっていますねー。


画像
いちばん端っこにある曲輪、西の城からは、非常に景色がいいです。
看板によると、“眺望絶佳”だとか。
ずいぶん時代がかった言い方ですが・・・。

しかしこれだけ雄大な都於郡城ですが、けっきょくここで籠城戦は行われず、島津氏の圧迫を受けた伊東義祐は城を捨てて豊後へと脱出します。
まあこれも、落ち目の戦国大名によくある話ですね。


画像

都於郡(とのこおり)城です。
名前だけでもおぼえて帰ってくださいねー。
(←ちょい古?)



(“その2”に続きます)



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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
家ニスタさんさん、こんばんは。
台風の影響で天気が悪いですね。
当方ブログにコメントを頂きまして、ありがとうございます。

なるほど・・・正直言うと、鹿児島は島津の殿様と西郷どんの印象が強いので、良く知りませんでした。確かに、大隅は少し違う印象があります。南九州は、薩摩の印象がどうしても強いですね。
隼人から宮崎、南延岡までは昔から鉄道も本数が少なく、私も乗り継ぎに少し困ったエリアでもあります。やはり、人口が少ないですよね。過去記事も順に拝読致しました。
hmd
2011/08/27 19:55
大隅でなくて、宮崎南部でした(^_^;)
hmd
2011/08/27 19:57
hmdさん、こんばんは。
はい。大隈も宮崎南部も、たいへん交通が不便ですね。
日南線を志布志まで行くと大隈になると思いますが、あそこは陸の孤島でした。
(地元の皆さんすいません^^;)
またさらに北へ行って、延岡―佐伯間でも、非常に乗り継ぎに苦労しました。というか、乗り継ぎが成り立たないというか・・・。
その件についてはのちほど記事にする予定です。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2011/08/27 21:46

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