飛騨への旅(2)~岩村城、阿木城

<2日め(その2)>
飛騨への旅というタイトルではありますが、まだ飛騨へは入っておりません。
ひきつづき明知鉄道沿線の旅です。

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明智から、恵那方面へと戻ること20分。
列車は岩村駅に到着します。
城下町を横目に見つつ、岩村城めざして歩いていきます。

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城下町には、ふるい家並みがのこっています。


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雰囲気のある町並みです。


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岩村城を遠望することができます。


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岩村城への登城道です。
石畳の道をのぼっていきます。


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畳橋のかかっていたあたりです。
畳橋というのは、橋の板が畳のようにとりはずせることから、その名がついたそうです。

城のシンボル、三階櫓は、本丸ではなく、一段くだったこのあたりに建っていたのだとか。
理由は、こちらのほうが城下からよく見えるからだそうです。
まさに、見せるための演出ですねー。
山のうえにそそり立つ三階櫓は、さぞ威厳に満ちた姿だったことでしょう。


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この城のいちばんの見どころ、六段壁です。
六段にきずかれた石垣は、なかなか特徴的な姿をしています。
マチュ・ピチュや、オリャンタイタンボあたりのアンデネスを思わせますねー。


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本丸です。

岩村城は日本三大山城のひとつとされていますが、山中に豪壮な石垣ののこるさまを見ていると、それも納得できます。
(のこりの2つは、(たしか)備中松山城と高取城です)

織田信長は東美濃の拠点としてこの城を重視し、城主遠山氏の妻として自分の叔母を送りこみます。
天正元(1573)年に武田軍が東美濃に侵攻してくるころ、すでに城主の遠山氏は亡くなっており、織田夫人がかわりに全軍を指揮して籠城戦をたたかいます。
これが俗にいう女城主です。

武田軍の将であった秋山信友は、岩村城を落とすと女城主の美貌にひかれ、自分の妻とします。
やがて織田勢が反抗して岩村城を奪還すると、信長は城主の秋山信友もろとも自分の叔母をも磔にしてしまいます。
いかにも信長、って感じのエピソードですね。


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本丸にある昇龍の井戸。
この城は城内のあちこちに井戸がありますが、そのあたりが堅城たるゆえんでしょうか。


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本丸からの景色です。


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虎口です。


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城のふもと、城下町からすこしのぼったあたりには、太鼓櫓が復元されています。


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前回も書きましたように、以前明知城と岩村城をおとずれたときの写真は、すべてパソコンクラッシュでパーになってしまいました。
こうして再訪できてヨカッタ!




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岩村駅に列車がやってきます。

恵那方面へともどることさらに10分。
こんどは阿木駅でおります。

駅から1キロ弱のところに阿木城があります。
城のすぐ近くまでいくと、地元の人に声をかけられ、城まで案内してもらいました!


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阿木城の入口です。
地元の方がたててくれている看板があるので、わかりやすいです。


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二の曲輪です。
といってもそれほどの広さはなく、帯曲輪といってもいいほどのもの。


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主郭です。
ほぼ円形で、かなりの広さがあります。


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搦め手側には深い堀切も見られます。

この阿木城の歴史はよくわかっていないようですが、いずれにしろ遠山一族の支城であるようです。
ただ、たんなる一支城にしては主郭などは規模が大きく、武田氏か織田氏による改修の手が入っているかもしれません。

阿木城の知名度はひくいと思いますが、土塁や堀切などよくのこっており、けっこう見ごたえのある城でした。




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阿木駅に列車がやってきます。

恵那から中央線で多治見へと出、太多線に乗りかえます。
美濃太田で、さらに長良川鉄道へと乗りかえ。


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長良川鉄道が関駅に到着します。
この日は関泊まりでした。



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この記事へのコメント

2013年03月30日 17:26
岩村の町並みの外れにあるカステラ屋に寄ってから城に行きました。確かにこれは見事な山城で一見の価値ありますね。
家ニスタ
2013年03月31日 00:14
easy2luvさん、こんばんは。
そうなんです、岩村城は日本三大山城にも選ばれている名城です。
あんな山の中に人力で石を運んだのだと思うと、昔の人の苦労がしのばれますね。
コメントありがとうございます。
2013年04月05日 00:43
恥ずかしながら。。三大山城はこの城しか名前が出てこない僕なのです。五大なら知ってるんですが、なぜか岩村城が含まれないんですよね。決して見劣りしない城観と歴史を持つ城なんですが。
家ニスタ
2013年04月05日 22:28
つとつとさんこんばんは。
えっ、五大山城ってあるんですか!?
すいません、逆にそっちを知りませんでした。
たしかに、“三大”だと兵庫県朝来市の竹田城や、大分県竹田市の岡城が入っていなかったりして、片手落ちの感がありますもんね。
でも“五大”に岩村城が入らないのは不思議ですね。
五大がどこなのか、教えていただいてもいいですか。
コメントありがとうございます。
2013年04月14日 17:58
五大山城は、越後の春日山城・出雲の月山富田城・近江の観音寺城・小谷城・能登の七尾城です。歴史的に著名な物を選んだみたいです。確かに史上有名なのを選んだみたいです。
月山富田城は観てないんですが、小谷城以外は確かに大規模な国大名の主城でしたから。
ちなみに五大山岳城もあって、小谷城の替りに武蔵の八王子城が入るそうです。

たしか、近年になってから小和田哲男さんが提唱してたと思うんですが、記憶があやふやなんですが。。
家ニスタ
2013年04月14日 22:36
つとつとさん、こんばんは。
なるほどなるほど、そういう組み合わせでしたか。
たまたま全部行ったことがありますが、たしかに賛否を呼びそうな選択ではありますね。(観音寺城あたり)
しかし日本人は三大ナントカとか五大ナントカが好きですよね。
自分なりにこれがベスト!というランキングを心の中にもっていればいいのかな、という気がします。
いつもコメントありがとうございます。

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