飛騨への旅(5)~神岡城、江馬氏下館、高原諏訪城

<4日め(その2)>
4日めの続きです。
広瀬城をあとにした僕たちは、一路国道41号線を北東にすすみ、飛騨市神岡町をめざします。
カーナビの指示のとおりに行くと、やがて神岡城の模擬天守が見えてきました。

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ところが・・・。
なんと3月31日まで、冬季閉館中。と書いてありますっ。
うわーん、せっかくここまで来たってのに!

ま、ホンモノの天守じゃないから、中にはいれなくてもいいっちゃいいんですけどね。


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この模擬天守は高原郷土館というのが正式名称でありまして、中には神岡町出土の考古遺物などが展示されているそうです。
うーむ。考古遺物にも興味があるな・・・。


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模擬天守の前面には空堀がほられ、ちょっとした石垣も見られますが、こちらは往時のものでしょう。

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神岡城は通称で、戦国期の名称は東町城というのだそうです。
東町城は、永禄年間に江馬氏が武田氏に属したさい、信玄の越中侵攻の拠点として、武田の臣山県昌景に命じられて、江馬氏がきずいたそうです。


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おなじ高原郷土館の敷地内に、移築展示されている旧松葉家。



続いて、神岡城から南東へ1キロほど行ったところにある、江馬氏下館をめざします。
先ほども出てきた、江馬氏の本拠がこちらです。

ところがまたしても・・・。

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閉まっていました・・・。
僕はてっきり、もう春だとばかり思ってたんですが、どうやら飛騨では3月いっぱいはみたいですねー。


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遠まきに撮った写真がコチラ。
キレイに復元されているので、ぜひ中を見てみたかったんですが・・・。


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平地の館ではありますが、前面には空堀がほられ、きちんと防御がなされています。



ひきつづいて、車は山中へとわけいっていきます。
高原諏訪城へ行くためです。
江馬氏下館が江馬氏のふだんの居館なら、その詰の城が高原諏訪城です。


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高原諏訪城の入口です。
車をとめるのに適当な場所がなく、苦労しました。


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しばらくのぼると、ごらんの石仏のある曲輪に出ます。
この曲輪が主郭なのだと思っていたら、まだ先がありました。


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主郭です。
“江馬候城址”の碑があります。


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主郭からの景色です。
画面右下のほう、小さ~~く江馬氏下館がうつっているのがおわかりになりますでしょうか。

江馬氏は戦国期には、武田氏にしたがったり上杉氏にしたがったりと、狭間の小勢力の悲しさで身のおきどころを転々とすることを余儀なくされていました。
信玄、謙信につづいて、天正10(1582)年に織田信長が本能寺に横死すると、上杉に属する江馬輝盛と、織田よりの三木自綱との間で、飛騨の関ヶ原ともいわれる、飛騨を二分する八日町の戦いが勃発します。

はじめ、戦いを優位にすすめていた江馬氏ですが、三木方の兵が放った鉄砲の弾が、たまたま大将の江馬輝盛に当たり、輝盛は討死。
江馬方は総崩れとなり、戦いは三木(姉小路)氏の大勝に終わります。
ほどなく高原諏訪城も落城し、江馬氏は滅亡したそうです。



(その3)に続きます。



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この記事へのコメント

2013年04月21日 07:51
この辺りは夜中しか通ったことがなくて、まったくの不案内なんですが、歴史本などで江馬氏と三木氏の抗争が根深くて、お城の名前だけは見覚えが^^;
江馬館が復元完成したのは聞いていましたが、なかなか雰囲気がありますねえ。次回再訪できると良いですねえ。
僕も機会があったら行ってみようっと^^/
家ニスタ
2013年04月21日 22:28
つとつとさん、こんばんは。
江馬氏と三木氏の抗争は、本当にはげしかったみたいですね。
江馬氏館はとてもきれいに復元されていました。
ぜひとも中に入りたかったのですけれど・・・。
(>o<;)
こんどは夏に来たいと思います。
コメントありがとうございます。

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