パーヴォ・ヤルヴィ&N響の『レニングラード』を聴いてきました

パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団による、ショスタコーヴィチ交響曲第7番『レニングラード』を聴くため、代々木のNHKホールへ行ってまいりました。
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N響の演奏を聴くのはこれが5回め、そのうちパーヴォ・ヤルヴィの指揮が3回めになります。
実は来年の3月にインバル/都響でおなじ『レニングラード』の演奏があり、それに行く予定なので、今回は行かなくてもよかったのですが、
「パーヴォのレニングラードはどんなもんだろう」
と思い、間が半年あいていることもあって、行ってくることにしたわけです。

僕は『レニングラード』のCDを2枚持っています。
インバル指揮ウィーン交響楽団の1991年の演奏、
ゲルギエフ指揮マリインスキー管の2001年の演奏、
の2枚です。

例によって、予習として2枚のCDを聴いてまいりました。
パワーでごりごり押してくるようなゲルギエフ盤と、それよりやや繊細なインバル盤。
どちらも名演ですが、やはり熱量にまさるゲルギエフ盤のほうが名盤といえましょうか。


おりからの台風のなか、客の入りは大丈夫かいな、と心配しましたが、意外にも客席はあらかた埋まっていました。
僕の指定席ともいえる、ほとんど最後列の自由席に身を落ちつけ、開演を待ちます。

やがてぱらぱらとオケのメンバーがあらわれ、それに続いてパーヴォ・ヤルヴィが登場。
一瞬あいだを置いて、指揮棒を振りおろします。

まずは第一楽章、勇壮な第一主題。
パーヴォは早すぎず、遅すぎずの中庸なテンポ設定。
激しさもゲルギエフ盤とインバル盤の中間といったところでしょうか。
続くやや悲しげな第二主題は、この曲が単なる戦争賛美ではないことをうかがわせます。

第一楽章の中間からは、「戦争の主題」の怒とうのリピートがはじまります。
おなじ主題をくりかえしつつ、次第に多くの楽器が加わって、どんどんテンションが上がっていく演奏に、会場はなかばトランス状態になっていくかのようです。

CDなどで聴くと、やや単調にも聴こえるこの部分ですが、こうしてライブで体感するとすごい迫力でした。
おなじ主題のくりかえしにより、聴く者をトランス状態にしていくというのは、クラシックというよりはロックの手法にちかいですね。


各楽章の役割分担がはっきりとしないのがショスタコの交響曲の特徴、と個人的に思っていますが、この交響曲に限っては、
第二楽章は「スケルツォらしい」スケルツォ、
第三楽章は「アダージョらしい」アダージョになっていると思います。
戦争のまっただ中に作曲された、という特殊性が、ショスタコーヴィチを伝統的な交響曲の手法に回帰させたのでしょうか。

ショスタコはブルックナーやマーラーにくらべると、「アダージョの美しさ」に興味がないように思われますが、この曲の第三楽章に限っては、「天上の音楽」といっていい美しさであると思います。
これも伝統回帰のひとつのあらわれでしょうか。

そして曲は振幅のはげしい第四楽章へと突入します。
緩と急をおりまぜた、ダイナミックレンジの広いこの楽章で、パーヴォは自在な棒さばきでオケをみちびいていきます。
やがて怒とうの盛りあがりを見せつつ、曲は大団円へと突っ走っていきます。

ブラボオ!!!
ひさしぶりに鳥ハダがたちました。
今日もいい演奏を聴かせてくれたパーヴォ、N響、本当にありがとう。
この長大で大規模な交響曲で、パーヴォはよくオケをコントロールし、来てよかったと思える名演に仕上げてくれたと思います。


これで僕がナマで聴いたショスタコーヴィチの交響曲は、5、7、8、10、11、12、15番の7曲となりました。
とはいえ15曲あるショスタコの交響曲では、やっと半分にさしかかったというところ。
まだマイ・ショスタコ・チクルスの完成までには遠いですが、早期の達成に向けてがんばってまいります。



僕のコンサートホールめぐりはまだまだ続きます。
10月にはエッシェンバッハ/N響によるブラームス2番/3番、
11月はヤノフスキ/N響のベートーベン『英雄』が控えています。

また来年の3月には待望のインバル先生による
『レニングラード』『未完成』が待っています。

近いうち、またどこかのホールでお会いしましょう。
それでは!







この記事へのコメント

メミコ
2017年09月19日 09:31
王道のN響ですね  いいですね  大満足されましたね
家ニスタ
2017年09月19日 22:46
メミコさん、こんばんは。
はい、王道のN響です。
いろいろなオケを聴きましたが、NHKホールでは自由席が1500円と安いこともあって、最近ではN響を聴く機会が一番多くなっています。
いつもコメントありがとうございます。

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