インバル&都響の『未完成』『悲愴』を聴いてきました

〈2018年3月30日(金)〉
前日にタイ&ラオスから帰国した疲れもなんのその、今日はコンサートホールへ行く日です。
エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団(都響)によるシューベルト交響曲第7番『未完成』およびチャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』を聴くため、池袋の東京芸術劇場へ行ってまいりました。


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インバル先生といえば、今月の20日にもショスタコ『レニングラード』を聴いてきたばかりですし、『悲愴』は2015年12月にゲルギエフ&ミュンヘン・フィルの演奏を聴いているので、今回は見送ってもよかったんですが、先生の『未完成』をどうしても聴きたかったので、行ってくることにしたわけです。

シューベルトの7番(8番ともいう)『未完成』は小学校の音楽の授業で聴いていらい好きな曲で、小中学校のころの僕にとっては『新世界』や『展覧会の絵』とならぶ存在でした。
その後マーラーやブルックナーの交響曲に触れるにつけ、その相対的地位は下がっていきましたが。

好きな曲といいつつ、僕は『未完成』のCDを1枚しか持っていません。
ジュゼッペ・シノーポリ指揮ドレスデン国立管弦楽団の、1992年の演奏です。
数ある『未完成』のCDのなかで、なぜこの1枚を買ったのかは謎ですが・・・(笑)。
例によって予習として、このCDを聴いてまいりました。

また『悲愴』のCDとしては、
アバド指揮シカゴ響による1986年の録音、
ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルによる2004年の録音、
の2枚を持っています。

こちらは聴きこむまではいきませんでしたが、ゲルギエフ&ミュンヘン・フィルのコンサートの前にさんざん聴いたからいいということで。


さて、開演の30分前に会場に着いた僕。
すでに席はあらかた埋まっていて、やはりインバル人気の根づよさがうかがえました。

開演時間になり、オケに続いてインバル先生登場。
今回はややもったいぶった間をおいてから、おもむろにタクトを振りはじめます。
すぐに『未完成』の、もの悲しく神秘的なメロディがホールに響きわたります。

この曲はセンシティブなタイトルゆえに、必要以上に人々の記憶にのこる傾向はありますが、それをさしひいても、まさしくシューベルトの最高傑作といえる内容だと思います。
同様に評価の高い第8番(9番ともいう)『ザ・グレート』が、僕にはただ明るく能天気なだけの音楽にしか聴こえないのとくらべ、はるかに精神的な深みが感じられます。

この曲が未完成のまま終わってしまったのは、つくづく残念ですが・・・。
今回のコンサートのパンフレットを見ていると、シューベルトはこの曲が1楽章から3楽章まですべて3拍子になってしまうため、あとで大幅な変更を加えようとしているうちに、その機会を逸したのではないか、ということです。

まあ、ブルックナーの9番のように、ファンも
「完成しなくてよかった」
と思うような作品もあることですし、これだけ美しい2つの楽章をのこしてくれたのだから、よしとしなければいけないかもしれませんね。

これまた天上の美しさの第2楽章が終わり、20分間の休憩に入ります。


休憩をはさみ、いよいよ『悲愴』がはじまります。
弦が重低音を奏で、ペシミスティックながらも美しいメロディを響かせます。

その悲しげなメロディが、なんだかインバル先生の、われわれ日本のファンにたいする
「別れのメッセージ」のように聴こえ、
演奏の途中から涙が出そうになってこまりました。

考えてみれば、失礼ながらインバル先生も、いつお亡くなりになってもおかしくないご年齢。
今回の演奏が最後の来日となる可能性も、十分にあります。
心して聴かねば、とあらためて思いました。

やがて曲は勇壮な行進曲調の第3楽章に入っていきます。
2015年にゲルギエフ&ミュンヘン・フィルの『悲愴』を聴きにいったときには、この楽章の終わりを曲のフィナーレと勘ちがいした聴衆たちが、いっせいに拍手をはじめてしまう、というハプニングに見まわれたものでした。
ここで終わったら、『悲愴』じゃなくて『能天気』だっつーの。

あとで知ったのですが、このときのミュンヘン・フィルのスポンサーにBMWがついており、おそらくBMWのオーナーなのでしょう、ふだんクラシックを聴きにこない人たちを招待していたみたいなのです。
そのときは失礼ながら、
「アホが。クソど素人なんか連れてくんなや」
と思ったものでした。
(あ、思いあがった発言ですいません。考えてみれば、僕もついこのあいだまでクソど素人でしたね^^;)

しかしさすがはレベルの高い都響ファン、3楽章の終わりに勘ちがいして拍手をはじめてしまうような不心得者はひとりもいません。
そしてこの曲のフィナーレを告げる第4楽章が、おごそかにはじまります。
厭世的で深い精神性をたたえた、このアダージョ楽章を終章にもってきたところが、この交響曲の独自性。

前にも書きましたが、これがマーラーの9番のような、やはり緩徐楽章を終曲にもってくる曲の先駆となるのです。
やがて消え入るようなラスト。

ほっ、本当に涙が出そうです。
今までインバル先生のコンサートに何度も足をはこんできましたが、そのなかでもナンバーワンといっていいほどの名演でした。

『悲愴』は以前ゲルギエフの指揮で聴いていたので、今日のコンサートは「来ない」という選択肢もあったんですが、来て本当によかったと思いました。
CD化がまちどおしいです。

インバル先生、これが「別れのメッセージ」などといわず、いつまでもお元気で、来日し続けてくださいね。
さいわい、来年の3月にも、先生の公演がプログラムされているようです。
まだまだ通い続けますよ。

それでは、またどこかのホールでお会いしましょう!




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