熊本、佐賀・城と遺跡めぐりの旅(3)-吉野ヶ里~基肄城

2日目はレンタカーを北へと走らせ、佐賀県へ向かいました。
まずは吉野ヶ里遺跡をめざします。
この遺跡が100名城にえらばれていることにたいして、いまだに疑問がもたれていますが・・・。


画像
やがて遺跡が見えてきます。
遺跡の敷地は広大で、いくつかの駐車場がありますが、正面入口に近い東駐車場にとめるのが正解のようです。

入場料を払い、なかへとはいります。


画像
遺跡内ではいくつかの物見櫓が復元されています。


画像
吉野ヶ里遺跡を象徴する大型建造物、主祭殿
僕が以前吉野ヶ里に来たときには、この建物はまだ復元されていませんでした。


画像
竪穴式住居もあります。


画像
さらに北へと進むと、北墳丘墓と呼ばれるエリアに出ます。
ここでは覆屋のしたに、甕棺墓などの遺構が発見された当時のままにのこされています。


画像
甕棺墓の復元。


画像
入口ちかくの遺跡展示館では、吉野ヶ里遺跡で発見されたさまざまな遺物が展示されています。


吉野ヶ里遺跡は佐賀県の吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある、大規模な遺跡です。
遺跡には縄文時代後期から奈良・平安時代にいたるまでの遺構がのこされていますが、もっとも有名なのは弥生時代の環濠集落です。

1989年に、この遺跡に弥生時代の大規模な環濠集落が埋まっていることがわかると、「邪馬台国」の発見か、と話題になりました。
しかし現在では邪馬台国の畿内説が有力になっており、吉野ヶ里が邪馬台国そのものの遺跡だと考える人は、ほとんどいないようです。


画像
弥生時代の吉野ヶ里が、周囲を空堀と土塁にかこまれた環濠集落であることが、この遺跡が“城”であるという見方につながっています。
しかし戦国時代の城などとくらべると、空堀が内側で土塁が外側であるという点で、逆になっています。

いずれにせよ、弥生時代の環濠集落を城であるとして“100名城”にえらぶのはやはり違和感がありますし、僕の周囲にもそう考える人が多いです。





画像
結局、遺跡入口のところで100名城スタンプを押しました。
スタンプ達成状況・・・76/100。
100名城達成状況・・・100/100。



吉野ヶ里をあとにした僕は東のほうへもどる形で車を走らせ、鳥栖市の北方、基山町にある、基肄城(きいじょう)へ向かいました。


画像
基山町役場に隣接した、基山町民会館に続100名城スタンプが置いてあります。
そこからさらに6~7分ほど車を走らせると、草スキー場に着きます。
草スキー場の上が、基肄城跡です。


画像
山頂には石碑がたっています。


画像
山頂からの景色がこちら。


画像
さらに進むと、オベリスク型の慰霊碑がたっています。


画像
慰霊碑ふきんからの景色。


画像
山頂から見おろした草スキー場。
たしかにこんな斜面ですべったら、気持ちよさそうですね。


前回麹池城のところでも書きましたが、663年の白村江の戦いで倭(日本)と百済遺臣の連合軍が大敗すると、大和朝廷は各地に朝鮮式山城をきずきます。
そのひとつが、基肄城です。
これまでに、武器や食糧をたくわえる倉庫跡と思われる40ほどの建物の礎石がみつかっているそうです。


今まで僕は、朝鮮式山城や神籠石といえば、大野城や鬼ノ城くらいしか見たことがなかったんですが、今回こうして麹池城と基肄城を見ることができ、よかったです。





画像
基山町民センターで、続100名城スタンプを押しました。


このあと熊本方面へもどりつつ、岩戸山古墳と田原坂公園を見学します。









吉野ヶ里遺跡 復元された弥生大集落 日本の遺跡 / 七田忠昭 【全集・双書】
HMV&BOOKS online 1号店
基本情報ジャンル哲学・歴史・宗教フォーマット全集・双書出版社同成社発売日2005年09月ISBN97


楽天市場



この記事へのコメント

2018年12月14日 07:26
こんにちは。

野ヶ里遺跡、ここは知ってます。
行ったことないけど。
行ってみたいです~。
楽しそう~。
2018年12月14日 12:09
以前長崎に旅行した時、
吉野ヶ里遺跡にまで足を延ばしました。
あの頃は、遺跡発見の余熱みたいな
ものが残っていて、見学客も多かったと思います。
あの頃に比べると、復元された建物が
ずい分多くなりましたね。前記事の麹池城跡も
大変興味深かったです。八角形の鼓楼が
復元されていてイメージが膨らみます。
行ってみたい所が増えました。
2018年12月14日 18:35
吉野ヶ里は100名城なのですね。私も今夏久々に行きずいぶん整備されていて驚きました。基肄城は何度か登っています。草スキー場からが最短コースですね。私も今日は鳥栖市と久留米市に行ったのですぐ近くですね。
家ニスタ
2018年12月14日 23:13
トトパパさん、こんばんは。
吉野ヶ里遺跡、楽しいですよ。
日本有数の遺跡で、弥生時代を代表するものです。
ぜひ行ってみてください。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2018年12月14日 23:15
yasyhikoさん、こんばんは。
僕もおそらく吉野ヶ里は20年ぶりぐらいになりますが、復元建物がすごく増えていてびっくりしました。
今は観光客はそれほどでもありませんが、ブームのころの名残りか、駐車場があちこちに分かれていて、わかりにくかったのには閉口しました。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2018年12月14日 23:18
torさん、こんばんは。
torさんも最近吉野ヶ里へ行ってこられたのですね。
100名城制定当時は、吉野ヶ里遺跡がえらばれていることに、たいへん違和感をもったものでした。
今ではだいぶ慣れましたけどね。
基肄城にも何度か行っておられるのですね。
鳥栖や久留米だとすぐ近くですね。
いつもコメントありがとうございます。
2018年12月15日 12:36
確かに吉野ケ里が百名城に含まれるというのは違和感を持ちますねえ。。ただ、これだけ大規模な遺跡だと、これからも、まだまだ発見が続きそうですねえ。。
邪馬台国論争は、一つの発見で畿内・九州を行ったり来たりしていますが、まだまだ藪の中、、僕は心情的にはまだ九州ですが。。
家ニスタ
2018年12月15日 15:04
つとつとさん、こんにちは。
僕も最初吉野ヶ里が100名城にえらばれたのには、強く違和感をもちました。
今ではどうでもよくなりましたが(笑)。
魏志倭人伝に出てくる他の国、奴国や伊都国などがすべて九州に同定されているのに、邪馬台国だけが畿内なのは不自然だと、僕も思っていました。
でも最近の発見からすると、畿内説が圧倒的優位みたいですね。
今から九州説が盛り返すのは、よっぽどの発見がない限りむずかしいかもしれません。
いつもコメントありがとうございます。
2018年12月17日 12:32
こんにちは
確かに 私も 吉野ヶ里が100名城には
ちょっと????です

ナントカ遺産とか遺跡として登録なら
わかりますけど お城じゃないですよね
家ニスタ
2018年12月17日 23:09
おとめさん、こんばんは。
まあ、土塁と空堀で周囲をかこまれているので、ごくごく広~い意味では城ともいえるんですけれど・・・。
やっぱり違和感ありますよね。
でも多賀城や紫波城のような古代の都城も城ですし、最近では僕はあまり目くじらを立てないことにしました。
いつもコメントありがとうございます。

この記事へのトラックバック