中国地方一周!城と飲みテツの旅(2)-岩国城

三原駅までもどってきた僕は、駅のコインロッカーから荷物を出しましたが、まだ岩国方面の列車まで1時間ほどありますので、駅構内に入口のある、三原城を見学することにしました。
三原城には以前も来たことがありますが、時間があるのに、駅のすぐ近く(というよりほとんど駅の中)にある城をすどおりする手はありません。


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日本で唯一(たぶん)、駅構内に入口のある天守台!

山陽本線と山陽新幹線の三原駅がばびゅーんと城の本丸をつらぬいてしまっているために、駅の構内からでないと天守台へ行けないようになっています。
当時は史跡保護という考えがあまりなかったために、こんなことになってしまっているようですが・・・。
小早川隆景が本拠とした由緒ある城なのに、ひどいと思います。


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悲惨な姿ではありますが、近世城らしい幅のひろい水堀と、精緻につみあげられた石垣は、それなりに見ごたえがあります。


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城内ではちょうど桜が満開でした。





やがて時間になり、岩国行きに乗りこみます。
時間がくればすぐに列車に乗れるのが、三原城の利点(?)


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岩国駅に到着しました。
ここでも、1時間ほど時間があきます。


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駅の改札を出てすぐにあるカフェで、豚キムチ丼を食べました。
ちょっとオシャレな感じのカフェでした。
10年ほど前は、岩国駅前でものを食べるところをさがすのに苦労した気がしましたが・・・。


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キハ40に乗ってひとつ先の西岩国まで行きます。

岩国城へ行くには、岩国駅前からバスに乗る方法もありますが、僕は18きっぷを使いたかったのと、岩徳線に乗りたかったので列車で行くことにしました。
1時間待ってひとつ先まで乗る、というのは効率はよくないですが・・・。


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6分ほどで着いた西岩国は、レトロ感ただよう駅舎でした。


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跨線橋もいい味だしてます。


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この改札まわりの雰囲気なんか、昭和にタイムスリップしたようですね。

岩国城までは西岩国からでも2キロほどありますので、ほとんどの人は岩国からバスに乗ることをえらぶようです。
でも、西岩国からの道には古い建物がならび、どうやらこちらが城下町の中心のようです。


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りっぱな門がまえの寺などがならんでいます。
西岩国から歩いたおかげで、城下町の雰囲気を感じることができました。


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やがて、うねうねとした独特の形をした橋が見えてきます。
こちらが岩国観光の目玉、錦帯橋です。

錦帯橋をあるいてわたるとお金をとられるので、僕は行きませんでした(笑)。
岩国城天守の入場料と往復のロープウェイ、錦帯橋がセットになった券を売っていて、多くの人はその券で岩国観光をするようです。


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岩国城のふもとでは桜が盛りをむかえていて、ハンパない数の人でにぎわっていました。


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錦帯橋のとなりの、車道の上からは錦帯橋がきれいに見えます。


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やがて山の上に岩国城天守が見えてきます。

昔の僕だったら歩いてのぼったところですが、今回の旅ではロープウェイなどがあるところでは、極力それを使おうと決めていました。
旅行終盤には、鬼ノ城まで5キロを歩いてのぼる、というハイライトがひかえていますので、それまでは体力を温存しなければなりません。

ロープウェイ乗り場まで行くと、長蛇の列ができていて一瞬萎えましたが、100名城スタンプは天守に置いてあるようなので、のぼらないわけにはいきません。
ふだんは15分間隔の運行のようですが、桜シーズンのためかロープウェイが5分ごとにうごいていて、助かりました。


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ロープウェイの上からの景色です。

ロープウェイ降り場から天守までは、「山道」と「平坦な道」の2とおりの道がありますが、僕はとうぜん「山道」を選択(笑)。
どちらをえらんでも所要時間は変わらないようです。


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やがてワイルドな石垣が見えてきます。


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天守が見えてきました。
この天守は昭和37年に再建されたもので、外観は比較的忠実に復元されていますが、麓からの見ばえをかんがえ、もとの天守台とは別の位置にたてられています。


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天守内部では、刀剣類の展示が充実していました。
とてつもなく長い大型の太刀!


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鞘から抜くと銃身が出てくるという、脇差型の鉄砲。
こんなのあったんですね!


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甲冑もあります。


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天守からの景色です。


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いわゆる“南蛮造”の復元天守。


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木々のなかにひっそりとたたずむのが、もとの天守台。
もとの位置とちがった場所に天守を再建するってどうなのよ、と思ったのですが、結果的に史跡としての天守台が保護されたことになり、これはこれでアリなのかもしれないですね・・・。


関ヶ原合戦後、家康によって防長30万石余に押しこめられた毛利氏。
その防長2か国も、当初は吉川広家にあたえられる予定だったといいますが、広家はなんとか毛利家の存続を願い出て、けっきょく2か国は毛利輝元にあたえられます。

これには、自分が関ヶ原でうごかなかったために西軍が負けたという、広家の罪の意識もあったかもしれません。
広家は毛利領のうち3万石を分知され、岩国城主となります。
山頂の城は元和元(1615)年の一国一城令により破却され、以後岩国藩主は麓の居館に拠点を置くようになります。





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天守入口で、100名城スタンプを押しました。


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ふたたび西岩国駅にもどってきました。
ロープウェイを待つときに並んだので、15:57の岩徳線に間にあわないかとおもいましたが、なんとか間にあいました。
岩徳線は2時間に1本なので、乗りおくれるとエラいことになります。


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車窓の風景です。


徳山で山陽本線に、新山口で山口線に乗りかえて、山口をめざします。
本当は新山口駅で駅弁を買いたかったのですが、調べたら新山口駅で営業していた小郡駅弁当さんは、数年前から弁当の販売を停止しているとのこと。

僕は数年前に新山口を通りかかったときに駅弁を買い、
「駅名が新山口になったのに、まだ“小郡”の名前で営業してるんだ」
(新山口の旧名は小郡(おごおり)駅でした)
とどうでもいいことで感心した記憶があります。

今おもえばあれが最後に新山口で買った駅弁になったわけで、もっとよく味わっておけばよかったと思いました。
これで山口県内の駅弁屋さんは消滅だそうです。

(その後さらに調べたら、広島駅弁当さんが小郡駅弁当からレシピを引き継ぎ、名物“ふく寿司”を販売しているとの情報を得ました。
僕は見つけられませんでしたが、今後まだ新山口で駅弁を買う機会はあるかもしれません)


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やがて山口駅に到着。

今日は居酒屋へ行く予定はないので、もし山口駅に駅弁があれば、弁当を買ってホテル飲みといきたいところです。
しかし新幹線停車駅の新山口でさえ駅弁がないのに、ただのイナカ駅(失礼)の山口駅に、駅弁があるはずもありません(笑)。
駅前のセブンイレブンで、多少なりとも駅弁感の味わえる弁当を探しました。

山口駅から徒歩10分ほどの、サンルート国際ホテル山口にチェックインし、コンビニで買った弁当をあけ、酒を飲みました。


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“筍ごはん幕の内”弁当。
ちょっと駅弁っぽくないですか?


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買ったお酒は、杉姫です。
ほんのりとした甘みがありながら、飲み口はすっきりで、若干のフルーティーさもあります。
派手さはありませんが、おいしいお酒でした。

それなりに充実した飲みテツ・ライフをすごせましたが、山口の町には雰囲気のよさそうな居酒屋もあったので、外で飲んでもよかったかもしれません。
まあ、この旅での飲みのハイライトは、明日の浜田、明後日の津山と決めています。




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この記事へのコメント

2019年04月19日 09:37
こんにちは。

三原城の次は岩国城ですか。
錦帯橋の桜、綺麗ですよね。
私も桜の時期に行ったことありますよ。
2019年04月19日 12:17
こんにちは♪

駅の構内に天守閣ですか!
すごい思い切ったことしますねぇ…
国鉄時代ですよね…
さすが官僚って感じです(苦笑)

錦帯橋の桜
良い時期にいらしたんですねぇ!!!
とってもきれいですね!
2019年04月19日 16:50
駅構内にある城跡ですか。
それはまた珍しいケースですね。
寺社の境内に線路を通したために、
境内が狭くなったという話は、
割とよく耳にしますが…。
西岩国駅のレトロな駅舎も魅力的です。
ポーチの三連アーチは、錦帯橋の
木造アーチを意識したものでしょうか。
2019年04月20日 00:57
三原も岩国にも行ったことがありません。どちらも知識としてはあるのですが、長らく憧れの存在です。
桜のいい時期に行かれましたね。
相変わらず素敵な旅をされていますね。電車でゆっくりとお城見物とはいいですね。こういう旅をいつかしてみたいと思いながら、今は全くかけ離れた生活をしているとも思います。
家ニスタ
2019年04月23日 22:47
トトパパさん、こんばんは。
錦帯橋の桜、本当にきれいでした。
土曜日だったので、あまりに人出が多かったのは閉口しましたが・・・。
トトパパさんも岩国にいらしたことがあるんですね。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2019年04月23日 22:52
おとめさん、こんばんは。
正確にいうと駅の構内ではなく、駅の構内にある入口からはいって行きます。
あと天守閣ではなく天守台のみです。
まあ国鉄時代だからできたことですね。
そのころは史跡保存という考え方はあまりありませんでしたから・・・。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2019年04月23日 22:57
yasuhikoさん、こんばんは。
上にも書きましたが、駅の構内にあるのは城の入口だけで、城そのものは駅の外にあります。
線路によって城が分断されている、というのが正しいです。
これは極端な例ですが、三の丸などを鉄道が走り、城域がせまくなっている、というのはよくありますね。
えっと、西岩国のポーチの3蓮アーチ・・・。
あっ、まったく気づきませんでした。
錦帯橋を意識したものかどうかは、ちょっとわかりません・・・。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2019年04月23日 22:59
ミクミティさん、こんばんは。
ミクミティさんでも行かれたことのない土地があるのですね。
ちょうど桜のきれいな時期に行ってくることができました。
僕は時間がありましたのでこんな旅が出来ましたが、忙しい方にはなかなかむずかしいですよね。
いつもコメントありがとうございます。
2019年05月03日 12:00
三原城 城内を鉄道が分断しているんですか@@
それでも、美しい石垣と大きな濠は、前回の高山城に比べ、年代の違いもありますが、小早川隆景の出世が窺われる造りですねえ。
家ニスタ
2019年05月04日 14:48
つとつとさん、こんにちは。
三原城は完全に鉄道で分断されています。
たしかにその精緻に積まれた石垣など、それまでの小早川の本拠、高山城や新高山城と比べると、中世の城から近世の城への移り変わりがはっきりとわかって、興味ぶかいですね。
いつもコメントありがとうございます。

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