ゴダール『イメージの本』を見てきました

ジャン=リュック・ゴダールの新作映画、『イメージの本』を見るため、シネスイッチ銀座へ行ってまいりました。
これもすこし前の話になります。

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今年89才になる映画監督、ジャン=リュック・ゴダールの新作が上映されると聞き、
「まだ撮っていたのか」というおどろきとともに、ぜひみたいと思い、映画館に足をはこぶことにしました。

去年(フランス公開は2017年)、ミシェル・アザナビシウス監督の『グッバイ・ゴダール!』があったために、なんとなく最近もゴダール映画を見たような気分になっていましたが、ゴダール自身の映画としては、2015年の『さらば、愛の言葉よ』以来になるんですね。

前作は「ゴダール初の3D映画!」と銘うたれていながら、3Dがまったく意味をなしておらず、むしろそれを逆用した「遊び」が見られるなど、いかにもゴダールらしい映画でしたね。

もともと「意味のわからない映画」の代表格だったゴダールですが、近年そのわけのわからなさがますます加速している気がします。

初期の『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』のころには、いちおうストーリーはありましたし、
(それにしても普通の映画というわけではないのですが)
僕がはじめてゴダールの洗礼を受けた『マリア』や『探偵』のころにも、その片鱗らしきものはまだ残っていました。

それが、2010年をすぎてからの作品、『ゴダール・ソシアリスム』や『さらば、愛の言葉よ』になると、脈絡のあるストーリーというものはほとんどなくなっています。
僕はゴダールが「意味や筋の通ったストーリーを解体することで、社会に挑戦している」と以前の記事に書きました。

今回、さらにそれが進み、「行くところまで行きついた」という印象です。
まず、ゴダール自身の撮った映像というものがほとんどなくなり、多くは過去の映画や歴史的映像のコラージュです。
そのほとんどがブツ切りで、時おりゴダール自身の意味のわからないナレーションが挿入される形で、映画は進んでいきます。

商業映画としての原則からおおきくはずれた、あるいは真逆の作品ですが、過去に商業的にも成功し、固定的なファンのいるゴダールだからこそ、このような映画を撮り、映画館で上映することができるのでしょう。


さいきん、世の中(とくに日本)では映画に「わかりやすさ」がもとめられすぎのような気がします。
『ROMA』の記事のところでも書きましたが、なんでも効率化がいわれ、映画にまで「早く確実に泣ける」といったことがもとめられるのは、少々行きすぎではないでしょうか?

かつては、たとえば文学作品などでも、
「この作品は今の自分にはちょっとむずかしいかもしれないけれど、背伸びして読んでみよう」
といった考え方をする人が、すくなからずいました。
今ではそんな人はほとんどいなくなってしまったようです。

美術などでも、そのときの自分にはよくわからない抽象絵画をすすんで見ていくことで、世界がひろがっていくのではないでしょうか。
いつまでもルノワールやモネしか見ていなくては、それ以外の絵もわかるようにはなりません。
(決してルノワールやモネを“悪い”といってるわけではないですよ)

絵画でいえば抽象絵画にちかいゴダールの作品なども、その流れでいけば現在では敬遠される部類の映画です。
今はまだゴダールの固定ファンがいるからいいですが、これから何年かしてゴダールが亡くなり、ファンも高齢化してしまうと、もうこうした映画は世界でつくられなくなるでしょうね。

つねに自分の理解の範囲内の芸術作品しか鑑賞しないでいると、考え方や世の中の見方まで単純になってしまうような気がします。
たとえば、
「隣国が軍備を増強したから、こちらもそれ以上に軍備を増強しなければ」
とか、
「移民は盗みをはたらくから、全員おいだしてしまえ」
といった考え方になってしまう・・・というのはちょっと極論でしょうか。


ちょっとえらそうなことを書きましたが、もちろん僕もゴダールの映画を“理解”できているわけではありません。
ですが、「これはどういう意味なんだろう、これはどういう意味なんだろう」といちいち考えさせられ、刺激をあたえてくれる映画だと思っています。
何年か後に彼が亡くなり、こういう映画をつくる人が世界中で一人もいなくなってしまうなら、残念なことです。



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