東北一周!続100名城と飲みテツの旅(2)-高田城

早朝に起き、一関駅から大船渡線に乗りこみます。

0168一関駅.jpg
車両はおなじみのキハ100。


0170大船渡線.jpg”ドラゴンレール大船渡線”のロゴがかわいい。


気仙沼駅から先は震災のあと、ざんねんながら鉄路の復旧はされておらず、BRT(バス)での運行になります。
BRTに乗って、盛駅をめざします。

0173車窓の風景.jpgBRTからの景色です。
あの悲劇の記憶さえなければ、風光明媚なところです。


0182BRT.jpgやがて陸前高田駅(バス停ですが、BRTでは駅と呼びます)に到着。
写真は陸前高田駅を去っていくBRT。


0228高田城遠景.jpg高田駅から北へ10分弱あるくと、こんもりとした山が見えてきて、それがかつての高田城の跡です。


0214高田城入口.jpg高田城の入口です。


0185高田城.jpgすこしのぼると神社のたっている曲輪があります。


0187高田城.jpgそのうえが主郭。


0191高田城.jpg主郭の背後には土塁があります。


0195高田城.jpg
さらに上があります。


0197高田城.jpg主郭より上の曲輪に八幡神社がたっていて、そちらが八幡館と呼ばれるエリアになります。
こちらのほうが古い時代の高田城の主郭だそうです。


0208高田城からの景色.jpg八幡館からの景色です。


ふたたび石段をくだっていきます。

0218高田城入口.jpgのぼり口のところにも神社がありましたが、津波でながされてしまったとのことです。
こうした傷跡が、この町ではあちこちに見られます。


0223浄土寺.jpg高田城跡からすぐのところに、浄土寺があります。
天正2(1574)年創建という古刹ですが、そのルーツは奈良時代にまでさかのぼるといいます。
床上までおしよせた津波に耐えた本堂が、いまも建っています。


0224浄土寺.jpg
仏像にのこる傷跡は、津波のなごりでしょうか。


このあと、広田湾につきでた岬の先端にある、米ヶ崎城跡を見学する予定だったのですが、歩いていたら工事で歩道がとぎれていて、行くのを断念しました。
強行すれば行けなくもなかったと思うんですが、復興のじゃまをしても悪いですしね。

とにかく陸前高田の復興は、思ったよりもすすんでいません。

0230陸前高田.jpgあらたにかさ上げして造成された土地にも、まばらに家がたっているだけです。


0233陸前高田.jpgこんな状況です。
東北の被災地の復興がすすまないのには、区画整理などの手続きに手間どっているうちに、内陸部へ避難した被災者たちがそちらで生活の基盤をきずいてしまった、などの事情がありますが、もうひとつの要因として、東京五輪があります。
東京五輪をひかえて建設業界の人手不足や、資材の高騰がおこり、復興のさまたげになっています。

"復興五輪”なんてもっともらしいキャッチフレーズをつけてますが、じっさいは”復興のじゃまする五輪”になっているのですね。


米ヶ崎城跡へ行くのはあきらめたので、高田高校前バス停からBRTに乗り、盛をめざしました。

0242車窓の風景.jpgBRTからの景色です。
なんどもいいますが、三陸はほんらい風光明媚なところなのです。


0244車窓の風景.jpg景色がやや都会的になってきたところで、大船渡市に入ります。
やがて盛(さかり)駅に到着。


0250盛駅.jpg盛駅に置いてあった模型。
三陸鉄道とBRTのターミナルになっているこの駅の構造が、よくわかります。

盛駅で一時間以上、列車を待たなくてはなりません。
BRTと鉄道の乗りつぎは、あまり考慮されていないようです。

ちょうどお昼どきなので、食事をとろうと思いましたが、盛駅前の小ぢんまりした商店街をあるいても、食堂らしきものは見つけられません。
商店街を抜け、国道をわたったあたりで、ようやく一軒のカフェを見つけました。
それしか選択肢がないようなので、そこで昼食をとることにしました。
それがカフェ・ユキグランパです。


0249アボカドまぐろ丼.jpg
まぐろアボカド明太子マヨネーズ丼をたのみました。
(すごい名前!)

かなりボリュームがあり、おいしかったです。
ついでにビールも。
昼から飲みテツ♪

この日の後半に続きます。

この記事へのコメント

2019年07月12日 11:45
こんにちは。

高田城ですか。
知りませんでした。
めっちゃいい感じのところですね。
行ってみたいです。
2019年07月12日 20:40
まだまだ津波の爪痕が残っているのですね。
今の時期、古城跡に立つと
「夏草や兵どもが夢の跡」という芭蕉の句が浮かびますが
津波の跡は自然災害の恐ろしさを伝えていますね。
2019年07月12日 22:30
大船渡線に乗られたんですね。ここは、
何といっても、復興の具合が気になりますが、
流された神社の残骸、造成されただけで、
人が戻ってこないただの土地を見るにつけ、
心痛むものを感じます。都心の建築現場では、
東京オリンピックの影響による人手不足という事が
よく言われるそうですね。被災地の復興現場と、
人の奪い合いになってるとも。家ニスタさんの
言われる事、よく分かる気がします。
東北にしても、熊本にしても、復興が進んでない事を、
もっと声高に叫んでもいいんじゃないでしょうか。
家ニスタ
2019年07月13日 00:36
トトパパさん、こんばんは。
よほどの城マニアとかじゃないと、高田城を知っている人は少ないと思います。
僕も今回の旅の前に、「三陸の城跡に行きたい」と思って調べてきて、ようやくその存在を知りました。
たしかに城跡の雰囲気はいいですが、周囲には津波の爪痕がくっきりと残っていたりします。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2019年07月13日 00:40
torさん、こんばんは。
まだまだ津波の痕跡はくっきりとのこっています。
城跡の雰囲気は「夏草や・・・」なんですが、周囲の復興ぐあいはまだまだといった感じです。
文中にも書きましたが、五輪の影響の人手不足もあり、復興がなかなか進まないのです。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2019年07月13日 00:45
yasuhikoさん、こんばんは。
本当に、かさ上げして造成した土地にほとんど家が建っていないようすには、胸が痛みます。
区画整理などの手続きに時間がかかるうちに、内陸部へ避難した被災者の方たちの中には、そちらで新しい生活の基盤をきずいたりして、戻ってくる方が少ないのが現状です。
また五輪の影響もあります。
いつになったら復興が終わったと言えるのか、といった感じです。
いつもコメントありがとうございます。
2019年07月13日 17:53
東北震災の復興
仙台を中心として それ以外のところは
あまり進んでないって聞きますね・・・
鉄道もそんな感じですよね・・・

知り合いが 復興の進んでないところの
支援に未だ通ってますが 手弁当 自腹
です・・・
家ニスタ
2019年07月14日 11:57
おとめさん、こんにちは。
仙台は空港などもあり、そうした重要インフラのあるところは早く復興されますが、沿岸部はまだまだですよね。
これには五輪の影響もあります。
鉄道はこの前三陸鉄道の釜石ー宮古間が復旧して、それで打ち止めみたいです。
気仙沼線や大船渡線のBRT(バス)になった区間は、そのままみたいですよ。
僕も震災直後には申し訳ていどに支援に行ったのですが、ご友人は今でもされているのですね・・・。
本当に、いつになった復興が終わったといえるのでしょうか。
いつもコメントありがとうございます。
2019年07月15日 10:25
災害復興は、国のお役人とゼネコンによる無駄な捨て金コンクリート政策によるものなので、その跡は廃墟かゴーストタウンの様相なのも当然かと。

原発事故ですら、終結には程遠いのが実情です。日本の政治家お役人は○○ばかりですし、ぽんぽんとおつむの逝かれたポチが首相の国ですから。
2019年07月18日 09:58
「東北一周の旅」いいですね。
東北のお城一気に廻れますね。
私は、東北、北海道の「100名城」は全く手つかずです。
いつの日か、家ニスタさんのように、「一周旅」をしてタップリと100名城巡りをしたいと思っています。
家ニスタ
2019年07月18日 22:11
kazukunさん、こんばんは。
ポチ・・・というのは言い過ぎかとは思いますが、どこの国を見て政治をしているのか、という気はしますね。
まさにゼネコンに金を流すことが最優先で、現地の事情はあまり考えられていないように思います。
完成した巨大な防潮堤を見て、地元の人が、
「こんな復興、誰が頼んだよ」
とつぶやいたという話もあります。
極端な場合、住民がいなくなった土地に、巨大な防潮堤のみが完成した、ということもあるようです。
ハード面より、ソフト面(避難誘導経路の設定とか)のほうが大事な気がするのですが・・・。
コメントありがとうございます。
家ニスタ
2019年07月18日 22:14
OZMAさん、こんばんは。
はい、一気に城がまわれます。
東北一周、九州一周、四国一周、一度にスタンプを増やすチャンスですので、OZMAさんもぜひいらしてください。
いつもコメントありがとうございます。
2019年07月28日 13:39
高田城は知らなかったのですが陸前高田の名の由来になるんでしょうか

オリンピックのおかげで資材費も高騰しているそうで、こちらでも大型建物は倍額になっているそうです。復興五輪という名はちょっと違うと思いますねえ。。
家ニスタ
2019年07月29日 23:40
つとつとさん、こんばんは。
高田城が高田市の名前の由来になったというより、もともと高田という地名があったようで、城も地名にちなみ千葉一族の城主も高田氏を名乗っていたようです。

海外の他都市とのコンペティションに勝つために、"復興五輪”という耳当たりのいい言葉をえらんだだけで、じっさいに復興に貢献しようという気はほとんどなかったんでしょうね。
「復興」と「五輪」という本来むすびつかない(あるいは反する)ものをくっつけた、無理のあるキャッチコピーだと思います。
いつもコメントありがとうございます。