長野お城めぐり(4)-荒砥城、葛尾城、上田城
〈2009年4月21日〉
じつは上山田の温泉街のすぐ裏手には、城があります。それが荒砥城です。
6時すぎに起きて早めに朝食をとり、さっそくそちらに向かいました。
温泉街の裏手のくねくねとした道を登っていくと、いきなりこの城門がどーんと出迎えてくれます。
この城は葛尾城の支城ですが、戦国時代の雰囲気たっぷりに復元されています。あまりに復元されすぎて、まるでテーマパークのようだ、と誰かがいってましたが、ホントにその通りですねー。
この景色、見おぼえがある人も多いんじゃないですか? そうです、この城は大河ドラマ「風林火山」のロケに使われていたんですねー。ですがその時は、「海ノ口城」としての登場でした。Orz
海の口城攻めでの信玄の初陣、というのも伝説の域を出ませんし、ましてやその時敵方に山本勘介がいた、なんてのはちょっと、ねえ。いろいろ疑問符のつくドラマではありました。(まあ、ドラマを盛り上げるためにはしょうがないんでしょうね)
荒砥城からの景色はこんな感じであります。ちなみにこの写真には、村上氏の本城、葛尾城が映っています。ホラ、左手、川が砂州になっているところの上のほう……ってわからんか。(^^;)
さて、僕達は山を降り、今度こそ本当に葛尾城を目指します。
温泉街を突っ切り、川を渡ると、すぐに葛尾城への登り口に着きます。そこから一時間弱の登りで、山頂へ。いやー、キツかった!
ん? しかし山頂近くに、なにやら駐車場らしきものが。な、なにー!? ひょっとすると、車でこれたのか。Orz
まあ、途中でいろいろと見れたから、いいのですが。
それにしても、山頂へ行けそうな道は、見あたらなかったんだけどなあ。
写真が葛尾城の本郭です。
この葛尾城、尾根上に点々と曲輪を設け、その間を深い堀切で切っていく、という手法で、非常に堅固です。ただ、曲輪ひとつひとつは狭く、居住性は低いようで、そのへんは戦国前期を感じさせます。まあ、「詰の城」なんですから、この程度でいいんでしょうが。
本郭を下から見上げると、こんな感じです。
武田氏に対して頑強な抵抗を続けていた村上義清でしたが、戸石城を真田幸隆の謀略によって落とされると、急速に勢いを失います。やがて葛尾城に籠城することもなく、越後へと落ちていきます。
すると、この城の堅固さはいったい何のためだったんだ!という気もしますが、信玄得意の政治力で周囲を押さえられ、どうにもならない状況に追いこまれたのでしょう。
やがて、義清に泣きつかれた上杉謙信は信濃出兵を決意し、泥沼の川中島争奪戦へとなだれこんでいくわけですねー。
さて、僕たちは葛尾城をあとにし、上田へと向かいました。
途中のファミレスでメシを食っていると、ぽつりぽつりと雨が。やがて本降りとなりました。さっきから怪しいとは思っていたんですが。いやー、葛尾城に登ってるときに降りださなくてヨカッタ!
じつはこのあと、戸石城へ行くつもりだったのですが、雨ではどうしようもありません。雨でも行けるところというと、平城ですねー。
ということで、上田城に向かいました。
この城も二十年ぶりの訪問であります。
写真は南櫓です。この櫓、明治時代に入って民間に払い下げられ、なんと遊郭として使われていたのを買い戻したのだとか。いやー、数奇な運命、とはこのことですなー。
上田城の本丸には、真田神社が建っています。
真田信之が松代に転封されて以来、上田城は仙石氏、続いて松平氏の支配となります。松平の治世は維新まで180年も続くのですが、それでも地元はいまだに真田なんですねー。w
今日は上田泊まりです。明日は、今日行けなかった戸石城へ行くぞー。
写真は上田駅周辺の夜景。
じつは上山田の温泉街のすぐ裏手には、城があります。それが荒砥城です。
6時すぎに起きて早めに朝食をとり、さっそくそちらに向かいました。
温泉街の裏手のくねくねとした道を登っていくと、いきなりこの城門がどーんと出迎えてくれます。
この城は葛尾城の支城ですが、戦国時代の雰囲気たっぷりに復元されています。あまりに復元されすぎて、まるでテーマパークのようだ、と誰かがいってましたが、ホントにその通りですねー。
この景色、見おぼえがある人も多いんじゃないですか? そうです、この城は大河ドラマ「風林火山」のロケに使われていたんですねー。ですがその時は、「海ノ口城」としての登場でした。Orz
海の口城攻めでの信玄の初陣、というのも伝説の域を出ませんし、ましてやその時敵方に山本勘介がいた、なんてのはちょっと、ねえ。いろいろ疑問符のつくドラマではありました。(まあ、ドラマを盛り上げるためにはしょうがないんでしょうね)
荒砥城からの景色はこんな感じであります。ちなみにこの写真には、村上氏の本城、葛尾城が映っています。ホラ、左手、川が砂州になっているところの上のほう……ってわからんか。(^^;)
さて、僕達は山を降り、今度こそ本当に葛尾城を目指します。
温泉街を突っ切り、川を渡ると、すぐに葛尾城への登り口に着きます。そこから一時間弱の登りで、山頂へ。いやー、キツかった!
ん? しかし山頂近くに、なにやら駐車場らしきものが。な、なにー!? ひょっとすると、車でこれたのか。Orz
まあ、途中でいろいろと見れたから、いいのですが。
それにしても、山頂へ行けそうな道は、見あたらなかったんだけどなあ。
写真が葛尾城の本郭です。
この葛尾城、尾根上に点々と曲輪を設け、その間を深い堀切で切っていく、という手法で、非常に堅固です。ただ、曲輪ひとつひとつは狭く、居住性は低いようで、そのへんは戦国前期を感じさせます。まあ、「詰の城」なんですから、この程度でいいんでしょうが。
本郭を下から見上げると、こんな感じです。
武田氏に対して頑強な抵抗を続けていた村上義清でしたが、戸石城を真田幸隆の謀略によって落とされると、急速に勢いを失います。やがて葛尾城に籠城することもなく、越後へと落ちていきます。
すると、この城の堅固さはいったい何のためだったんだ!という気もしますが、信玄得意の政治力で周囲を押さえられ、どうにもならない状況に追いこまれたのでしょう。
やがて、義清に泣きつかれた上杉謙信は信濃出兵を決意し、泥沼の川中島争奪戦へとなだれこんでいくわけですねー。
さて、僕たちは葛尾城をあとにし、上田へと向かいました。
途中のファミレスでメシを食っていると、ぽつりぽつりと雨が。やがて本降りとなりました。さっきから怪しいとは思っていたんですが。いやー、葛尾城に登ってるときに降りださなくてヨカッタ!
じつはこのあと、戸石城へ行くつもりだったのですが、雨ではどうしようもありません。雨でも行けるところというと、平城ですねー。
ということで、上田城に向かいました。
この城も二十年ぶりの訪問であります。
写真は南櫓です。この櫓、明治時代に入って民間に払い下げられ、なんと遊郭として使われていたのを買い戻したのだとか。いやー、数奇な運命、とはこのことですなー。
上田城の本丸には、真田神社が建っています。
真田信之が松代に転封されて以来、上田城は仙石氏、続いて松平氏の支配となります。松平の治世は維新まで180年も続くのですが、それでも地元はいまだに真田なんですねー。w
今日は上田泊まりです。明日は、今日行けなかった戸石城へ行くぞー。
写真は上田駅周辺の夜景。











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