関西・城と飲みテツの旅(4)-竹田城

この日は8時ごろに宿を出て、和田山駅から列車に乗り、竹田駅をめざしました。

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車窓の風景です。


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昨日の夜に降った雨がいいぐあいに水蒸気となったものか、あたりの山々に雲がかかっています。
このままいけば、「雲海にうかぶ竹田城」が見られるかも・・・と一瞬期待しました。


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しかし竹田駅に着くころには、すっかり雲ははれてしまっていました。
どうやら、もっと早く出なきゃだめみたいです。

竹田城への登山口は駅のすぐ裏手にあるのですが、駅の改札が反対側にあるために、ぐるっと回っていかなくてはなりません。


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こんな踏切もちょっとなつかしい感じですね。

その名もずばりの駅裏登山道からのぼっていきます。


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登山道はよく整備されています。


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ワイルドな石段の部分も。

のぼりはじめて30分ほどで、チケット売り場が見えてきます。
以前僕が来たときにはこんなことはなかったんですが、竹田城への入城には料金500円がかかるようになりました。

「天空の城」ブームで、一時ものすごい数の観光客が殺到していたので、史跡保全のために入場料を徴収することにしたようです。
あまりに見学者が多いと史跡を破壊してしまいますので、いいことだと思います。


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料金所を過ぎてすぐに、竹田城の石垣が見えてきます。


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眺望もばつぐんです。


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三の丸から天守台を見たところです。


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竹田の町を見おろすことができます。
ちいさく竹田の駅も見えます。


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この城の高度感がおわかりいただけるでしょうか。


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竹田城です。


竹田城は嘉吉3(1443)年に山名宗全が家臣に命じてきずかせたとされます。
織田家臣、羽柴秀吉の但馬遠征のさいに落城し、秀吉の弟の羽柴秀長が城主となります。
秀長は城に大改修をくわえ、今みられる総石垣づくりの城にしたといいます。

秀長の没後は赤松広秀が城主となりますが、広秀は関ヶ原のさいに西軍に属したかどで切腹、赤松家は断絶となります。
同時に竹田城も廃城となっています。





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帰りは表米神社登山道というべつの道をつかっております。


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こちらがその登山道の入口にある表米(ひょうまい)神社。


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神社の境内には土俵があります。
ここで奉納相撲がおこなわれるようですが、周囲の半円形の石造りの客席が独特ですね。
まるで古代ローマの劇場みたい。


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ちょうど踏切をわたろうとするところで、列車が通りすぎていきます。
しまった! あれに乗ればよかった・・・。

次の列車まで、およそ1時間あります。
時間があるので、踏切のちかくにあるたけだ城下町交流館を見学することにしました。

たけだ城下町交流館は古い造り酒屋を利用してつくられた案内施設で、そのなかの情報館「天空の城」では竹田城の模型などが見られます。


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かつての造り酒屋の施設が見学できるようになっています。


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こちらは応接スペースでしょうか。

情報館天空の城でも100名城スタンプを押せますが、駅にもあります。
僕は朝駅に着いた時点で、すでに押していました。


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駅で押した100名城スタンプです。


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駅の背後に、竹田城が見えているのがわかりますでしょうか。


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竹田駅に列車がやってきます。

やがて和田山駅到着。


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和田山駅構内には以前つかわれていた赤レンガ製の車庫がのこっています。
こうした鉄道遺跡は永くのこしてほしいと思うのですが、屋根がとりはずされたりして、僕が以前見たときより風化がすすんでいます。
もうすぐ取りこわされる運命なのでしょうか。

福知山駅で乗りかえ、篠山口駅をめざします。


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車窓の風景です。

篠山口駅でおりた僕はバスに乗り、丹波篠山城をめざしました。

(その2に続きます)

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