飛騨への旅(1)~明知城、日本大正村

先日、青春18きっぷをつかい、6日間ほどをかけて岐阜県内の城を集中的に見てきましたので、そのご報告をしたいと思います。
タイトルは“飛騨への旅”となっていますが。例によって飛騨以外の城もふくまれていますのであしからず。

<1日め>
イバラキから恵那へ。

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この日は午前中に用事があったので、昼からの出撃となりました。
中央線を乗りつぎ、高尾→甲府→小淵沢→塩尻と進んでいきます。
列車の接続がわるく、塩尻で1時間半も待たされるハメになってしまいました。
(>_<)
写真は中津川駅を出ようとする名古屋行き。


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夜の恵那駅です。
しかし中央線の接続がこんなに悪いなら、ひょっとすると東海道経由で行ったほうが早かったかもしれません。


<2日め(その1)>
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8時ちょっと前の明知鉄道に乗り、明智をめざします。
途中で乗りおりするので、「一日フリーきっぷ」を買いました。
ところで、鉄道のなまえは“明知”鉄道なのに、駅のなまえは“明智”ですね。

コトコトかわいい列車に乗って、終点の明智まで1時間弱。
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明智駅の車庫です。

駅から1キロほど。
大正ロマン館の裏手に、明知城があります。
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明知城の入口です。
民家の横の、細くめだたない道をはいっていきます。
ここでは明智城と書いてありますね。正確には明知城と書くようです。
ま、どちらでもいいのかもしれませんが。


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深い堀切が見られます。


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本丸です。
さして高い山ではなく、すぐに本丸までたどりつきます。

じつはこの明知城と、次におとずれる岩村城には、以前来たことがあるのですが、そのときの写真は、パソコンのクラッシュによりすべてうしなわれてしまいました。
(>o<);
ようやく再訪をはたすことができ、感無量です。
皆さんは、きちんとバックアップをとりましょうね。


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本丸からの景色です。


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二の丸です。


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出丸には、石垣のあとも見られます。

この明知城は、これからおとずれる岩村城とともにこのあたりの豪族、遠山一族の城です。
天正3(1575)年に、武田勝頼によって包囲され、城内で謀反が起こったために落城しますが、すぐに織田からの援軍をうけて奪還しているそうです。



さて、明智といえば日本大正村であります。
ついでながら僕も見学してきました。

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大正ロマン館です。


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大正村役場です。
といっても大正村というのは正式な行政区分ではありませんので、これは旧明智町役場を利用したものです。
現在は無料休憩室になっています。


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大正村資料館です。


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大正村資料館。
銀行の繭蔵だった建物を利用したものだそうです。


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中はこのような展示になっています。

“飛騨への旅(2)”につづきます。



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この記事へのコメント

2013年03月30日 17:23
青春18旅、ご苦労様です。私の経験から言っても絶対、東海道線経由です。出来ればMLながらが良かったのですがね。

大正村は会社仲間と行きましたね、城には行きませんでした。岩村城は車でかなり上まで行けるので。
ピラン猫
2013年03月30日 21:09
私も明知鉄道に乗って日本大正村に行ったことがあります。
明智駅も大正村の一部のようなレトロな駅ですね。

明智と明知、ややこしいですね。
明知鉄道の前身は国鉄明知線で、どちらも「明知」なのに、国鉄時代は明知駅で明知鉄道になってからは明智駅ですね。
家ニスタ
2013年03月31日 00:07
easy2luvさん、こんばんは。
たしかに東海道線経由のほうがよかったですね。
接続がよければ、中央線のほうが早いとは思うんですが・・・。
明知城は岩村城とはちがい、りっぱな石垣が残っているわけではないので、一般の方にはあまりオススメはしません。
大正村を見て、よっぽど時間があまったら見てもいいと思いますが・・・。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2013年03月31日 00:10
ピラン猫さんこんばんは。
えっ、国鉄時代は明知駅だったのですか?!
いったいどういう経緯で“明智”になったんでしょうか。
統一したほうがいいような気もしますが・・・。
古い自治体区分では、“明智町”だったようなので、そっちにあわせたのかもしれませんね。
いつもコメントありがとうございます。
2013年04月05日 00:27
元々、明知が古くからの呼称みたいですね。
近くの明智川と明智光秀の影響が大きかったみたいですね。
やはり、明知遠山氏より明智の方が他県の人には注目されますからね。
家ニスタ
2013年04月05日 22:22
つとつとさん、こんばんは。
なるほど、明知のほうが古い呼称だったのですか。
明智光秀がここの出身かどうかははっきりしないようですが、たしかに光秀の出身地といったほうが一般の人のウケはいいですもんね。
岐阜県可児市にも明智長山城があり、光秀はこちらの出身との見解が有力みたいですね。
いつもコメントありがとうございます。

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