中国地方一周!城と飲みテツの旅(3)-津和野城~三宅御土居

この日は朝6時に起きてホテルをチェックアウトし、6:58発の山口線に乗って津和野に向かいました。

画像
山口駅前にある、“西の京”を強調した看板。
まあ、大内氏が徹底して京風の町並みをととのえた山口は、「小京都」を名のる資格はあるとおもいますが・・・。

一時なんでも小京都、小京都と名のっていた時期がありましたが、今ではそんなことはないようですね。
そもそも「角館」なんかは武家の町で、“小京都”とはいえないと思うんですが。
山口いがいでは、一条氏の城下町の土佐中村くらいじゃないですかねえ、真に「小京都」の名に値するのは。


画像
“レノファ”というどこかの洗濯柔軟剤(失礼)みたいな名前のサッカー・チームが、山口にはあるようです。


画像
山口線の車窓は風光明媚。


画像
やがて津和野駅に到着。


画像
駅の背後の山にちらほらと桜がさいているのが、すごくいいです。


画像
駅前に“日本3大芋煮”の看板がありましたが。
山形、大洲、津和野ですか、ふーむ・・・。
山形いがいは、あんまり有名じゃないですねえ。
僕が東日本の人間だから、そう感じるんでしょうか。


画像
津和野には古い感じの町並みがのこっています。


画像
津和野川ふきんの景色。


画像
津和野高校前では、たくさんの桜が花を咲かせていました。


画像
その津和野高校の横に、なにやら由緒ありそうな建物がたっていました。
僕は一見して、高校の建物ではないな、とおもいました。
あとで調べたら、やはり城の遺構で、旧津和野藩邸にたっていた物見櫓だそうです。
“物見”というほどの高さはないと思いますが・・・。

さらに5分ほどあるいて、リフト乗り場の下に出ます。
やはり岩国と同様、ここでも利用できるものは利用することにします。

しかしスキー場でいうシングルリフトのこのリフト、僕が持っていた大きなバックパックを載せるスペースはなく、体の前にかかえていくことにしました。

リフト乗り場の係のおじさんは、口調がすごくつっけんどんで最初こわかったんですが、話してみるといい人でした。
方言って、地元の人いがいが聞くと怒ってるように聞こえることありますよね。


画像
リフト降り場からすぐ、本丸への登山道が見えてきます。


画像
“津和野城跡”の看板が見えてきます。


画像
さらにのぼります。
ええ~~聞いてないよ。
大きいバックパックを背負った僕は、少々難儀しました。
やっぱり駅のコインロッカーに入れてくればよかった。


画像
すぐに石垣が見えてきました。
じっさいには、リフトをおりてからそれほどのぼるわけではありません。


画像
山上に堅固な石垣の城があるさまは、竹田城や岩村城をおもわせます。


画像
高度差がかんじられます。


画像
三十間台と呼ばれる、城の中核をなす曲輪。


画像
三十間台からの景色です。
とくに天気がわるいわけでもないのに、霞がかかったようになっているのは、どうやら“黄砂”の影響のようです。
この時期の中国地方は黄砂が出やすいということで、今回の旅行でもたびたびこのような景色に見まわれました。


津和野城の築城は永仁3(1295)年、吉見頼行によるものといわれます。
天文20(1551)年、陶晴賢が反乱をおこし、大内義隆を自刃に追いこむと、義隆と関係の深かった吉見正頼は大内氏のもとをはなれます。

大内氏の滅亡後正頼は毛利氏の家臣となり、慶長3(1600)年の関ヶ原合戦後は毛利にしたがって萩に移り住みます。
それを受けて坂崎直盛が4万石で入封しますが、16年後に改易。
その後津和野に入った亀井氏が明治維新まで11代続きます。





画像
リフト乗り場で押しておいた100名城スタンプです。


画像
城の石垣をあとにし、山道をくだっていきます。
帰りはリフトをつかわず、ずっと山道をおります。


画像
津和野川沿いの桜を見ながら、駅へともどります。
本当にみごとですね。


画像
こちらは旧多胡家老門
津和野藩の重臣、多胡家のもの。
屋敷そのものはのこっていませんが、りっぱな門がのこっています。

ほかにも養老館などがあり、城下町の雰囲気にひたりながら歩くことができます。
今日は時間がないのですが、いちど城下町もじっくり見てみたいです。


津和野駅までもどり、ふたたび山口線に乗って益田まで行きます。

画像
益田駅到着のキハ40。

ここで、今度は東萩方面への列車に乗るのですが、またしても1時間以上待ち時間があります。
事前に益田駅周辺に城はないか、としらべていたのですが、駅から1.5キロほどのところにかつての益田氏の居館跡、三宅御土居があることがわかりました。

以前、山城の益田城(七尾城)のほうは行ったことがあったんですが、三宅御土居には行ったことがありません。
列車待ちの時間を利用して、行ってくることにしました。


画像
徒歩15分ほどで、大元神社が見えてきます。
この神社の周辺が、居館跡になっています。


画像
神社の裏手に、大規模な土塁がのこっています。


画像
一部公園化されていて、井戸などが復元されています。


三宅御土居は、応安年間(1394~1428)、益田兼見によってきずかれました。
その後益田氏代々の居館としてつかわれますが、戦国末期には、毛利氏との対立の激化で一時19代藤兼が背後の山城の七尾城に拠点をうつしました。

20代元祥の代になると毛利氏と和睦し、ふもとの三宅御土居にもどってこれを大改修します。
関ヶ原の合戦後毛利氏にしたがって元祥は長門国須佐にうつり、三宅御土居は廃絶されます。


さて、この麓の居館跡を山城とは別のものと見て、訪城数のひとつとして数えるかどうかですが・・・。
益田城(七尾城)とはかなり距離があり、この居館じたい大がかりな土塁という防御施設をもっていて、独立した城郭と見なすことができると考え、訪城数にカウントすることにしました。

というわけで、こちらが501か所めに訪れた城になります。





画像
駅へともどる途中にも、桜がきれいに咲いていました。
はやくも葉ザクラになりつつありますね。

益田駅から長門市行きに乗り、東萩をめざします。


画像
益田駅で買った日本酒を、車内で飲みます。
宗味です。
レトロ感のある瓶が、すごくいい。


(その2に続きます)

この記事へのコメント

2019年04月21日 11:19
こんにちは。

次は津和野ですか。
いいですね。
桜が綺麗ですね。
私も津和野城は行ったことありますよ。
2019年04月21日 17:28
山口から萩、津和野まで
旅した事があります。
津和野城から見下ろす景色、
町が小さく見えて印象的でした。
2019年04月22日 12:22
こんにちは♪

私も芋煮は山形しか知りませんでした!

桜の頃に旅をする
素敵ですねぇ♪
家ニスタ
2019年04月23日 23:15
トトパパさん、こんばんは。
津和野にも行かれたことあるんですね。
本当にあちこち行かれてますね。
桜きれいでした。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2019年04月23日 23:20
yasuhikoさん、こんばんは。
津和野城からの景色、本当に町が小さく見えますね。
僕が行ったときには、黄砂の影響なのか、霞がかかったようになっていました。
いつもコメントありがとうございます。
家ニスタ
2019年04月23日 23:23
おとめさん、こんばんは。
ふつう芋煮は山形を連想しますよね・・・。
けっこう桜の時期に旅をするのですが、この時期は花粉がまだ飛んでいるし、人出が多いので本当はいやなんです・・・。
(といいつつ出かけてますがw)
いつもコメントありがとうございます。
2019年05月03日 12:20
僕も芋煮と云えば、山形しか思い浮かばないですねえ。。
あの大鍋の印象が強いんでしょうか^^;
小京都と云えるのは僕も家ニスタさんと同意見で、京都貴族の一条氏が造った町ですからね。。他の小京都という所のほとんどが武家文化の町がほとんどですからねえ^^
そういえば、小京都会議という集まりがあるんですが、その条件というのは、京都に似た自然景観・京都との歴史的つながり、もう一つが伝統産業・芸能があること、で、この内のひとつ以上あればOK 要はどこでもよかったみたいで観光の目玉文句^^; 金沢も数年前まで加盟してましたが、武家文化推進で脱退してます(笑)
家ニスタ
2019年05月04日 14:55
そうなんです、僕も常々「小京都」には疑問をもっていまして。
ただ、最近ではそう名乗るのをやめたところも増えているようですね。
金沢も武家の町ですし、英断だと思います。
いつもコメントありがとうございます。

この記事へのトラックバック